2011年12月16日金曜日

清明上河図

清明上河図

清明上河図」が、来年この国にやってくる。と聞いて学生の頃のことを思い出した。
私は、工業高校(機械課)では劣等生だった。機械を分解したり、組んだりする事は好きでも、計算尺を使い、割ったり掛けたりして計算し、図面を書くのは苦手だった。いや、はっきり、しなかった。漫画のような筆使いの私の設計図を見た担当の先生は「嫌いなんじゃなー」と同情して点をくれた。
自分の才能に見切りをつけた訳ではないが、面接みたいなものだけで入学できる大学に入った。これが、「史学科」の日本史。今でも学籍番号は空で言える「722031」さんざん答案に記入したもの(これだけは書ける他は全滅でも)。講義に出てみるとチンプンカンプンで、その上、同じ科の者が普通に知っている事を決定的に「知らない」事に気づいた。これはどうも変だと高校の事務局に問い合わせてみると私が高校の時履修したのは「世界史」だった。知らないわけだ。今でも私は決定的に「ものを知らない」と胸を張って言えるのは、こんな経験があるからなんだろう。
話がずれている。元に戻して。その大学のたしか「美術史」の講義でこの「清明上河図」に出合った。先生のイメージは蘇るけれど名前が出てこない。仮にS先生としよう(坂本ではなかったか?なにしろ40年前のことだ)。先生は清明上河図のスライドを黒板に映して「いいねえー」「すばらしいねー」「好いいねー」と1シーン毎に感嘆して、この長い絵巻のような絵を右から左に順に辿った。この講義期間が三ヶ月だったか、半年だったか、一年だったか、それは思い出せない。私の思い出すことが出来るのは、学問は「好むことから・スキであることから」始まるのだ、それは学問専門者(学者)の使うところの論理以前にあるのだ。と思い知ったことだった。S先生はどうして居られるのだろうか。

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