2011年12月8日木曜日

パソコン顛末 感想

パソコン顛末 感想

パソコンを使って何かをする、というよりも、パソコンそのものを相手にしている数日だ。
パソコンをいじってみて、この物は
・無限に近いコピー能力をもつ
・限りなく(何度でも)可能な再現性をもつ(くりかえしトライできる)
これが、特徴であるという感想を持った。
これは、一期一会の(同じ事は二度と無い)我々の生存様式とは全く異なるものなのだ。言葉を変えれば、我々の存在は、「唯一無二」であるし、その存在過程の再現性はない。
今回、思うがままにはならぬものの、パソコンを相手に、「どんな局面でもどこかに解決の糸口はある」とやってみたが何とかなった。
一方、「一期一会の生存様式」の方は、かれこれ数十年取り組んでいるが。これは「思うがままにならぬ」事はもちろんだが、「なんとかなる」の段階でもない。負け惜しみではないけれどこちらのほうが奥も深いし面白い。

話は変わるが
今日、長袖の下着を買った。行ったのは、昔からの衣類専門店だ、名前も「○○ゴフク」。店に入るやいなや店内にむかって、「ここにはシャツを置いとるかな」と言えば、私より年配の(ということは婆さんの)店員が対応してくれた。「こちらです」と案内されながら「チラッと見て(私の)サイズはどのくらいと思う」と聞けば「Mですかね」。下着コーナーの山ような商品を前に「丸首がいいですか。厚手と薄手、どちらになさいます」と聞かれる「丸首で厚手がええな」。ここまで、二分とかからない。支払いを済ませても五分。
つくづく、物を売るということは、「商品知識」が在るのと無いのとでは大違いだと思ったことだ。対応してくれた(婆さん)店員はおそらく何十年も服の知識を蓄えてきたに違いない、そうでなければこのような的確な対応はできまい。働く者を使い捨てにしたのでは、このようなベテラン店員は育たないのであると思ったことだ。
雇用の安定か不安定か。長い目で見て、どちらが得であるか、店員にとっても、買う側にとっても。そして社会にとっても。
胴長短脚を誇る私であるが、おそらくこのシャツは体に合うだろうとウキウキ思っている。
後日、このシャツを着た。丸首というものは窮屈なものだ。と思っていたら、前と後ろを逆に着ていることに気づく。「前」とか「後ろ」とかをプリントしているシャツはないものか。今度あの店員に聞いてみよう。

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