2009年9月30日水曜日

言葉を集めて つづく

・ 「コタをカク」
メモ(97.3.22)には「落ち葉や下草などを集める」とある。「コタ」についてもっと知りたいと思い、これまでやってきた手法で当たったが、メモ以上のことは何も解からなかった。
思い屈して数日を過ぎ、やっと気が付いた。その言葉の裏にどんな字があるのか、その言葉はいかなる意味構造の字から発生したものであるかは、明白である必要はないのである。「ある日ある所であるヒトにより、ひとつの言葉が発明され、その言葉が流通する」その時すでに言葉は成立しているのである。それでいい。そののち、メモを見た私が、「コタ」について「わかることができればこのことをもっと知りたい」と思う気持ちは、言葉へのレンアイ感情(しばしば常軌を逸した偏愛)からきているのだ。と思い定めた。
しかし、その後わたしは禁を犯す。このようなスタイルのブログを維持するためには、やらないほうがいいことがある。
1. 日常の暮らしを逸脱して、言葉を集めぬこと。言葉は汲めども尽きぬものであるゆえに、あっという間に私のもつ容量を超えてしまう。
2. ひとつの言葉の詮索(検索)は程々にすべきこと。手元にある辞書の類で済ませること。そうでなければ楽しみの範囲を超えてしまう。
3. その言葉を発した本人に、改めて意味を問わぬこと。言葉は変化してゆく物ゆえに誘導審問になるおそれがある。頼るものは、つたないメモのみ。
これを守っていれば、三郎(サブロウ)は候(ソウロウ)がすべった。などと言い出す事はなかろう。
1. と2.の禁を犯した。
1. は近くのK女史に「山に行って落ち葉を集めていた事、あれを、どう言っていたか?」と聞いた。答えは「マツゴ(松ご)をかきに」「熊手でマツゴ=松葉を掻いて、それから熊手でそれをたたいて、ひとかたまりにして背負って帰っていた。ウチはバンジョウが下手だったから、途中でマツゴがこぼれて~」「バンジョウ?それはなんで?」「あんたバンジョウも知らんの」という具合で、汲めども尽きぬ世界がそこにはあるのだ。ちなみに、持ち帰ったマツゴは焚付にしていた。松は油分が多いので火付きがいいのだ。
2. は図書館に行った。やさしい司書の女性はしばらく背中をみせて、あれこれ調べてくれた。最後に広辞苑を調べて「わかりません」とすまなそうで、こちらが恐縮した。
以上が「コタ」についての私の報告である。3.については禁を守っている。憶えていれば、今年の正月には聞いてみよう。

付記 後日思い立って「バンジョウ」を調べてみた。すると「バンゾウ」という言葉は熊手のことだとある。つまり、名詞バンゾウは、それを使ってする行為を取り込み、主にはそちらで使われていたわけだった。

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