2009年9月1日火曜日

政治の季節に つづけない

「ブログのコドク」
政治の季節だ、でもこの季節風は三日と吹かない。で、吹き止む前に書くことにした。さあ始めよう。
チャラチャラしている口ぶりは大嫌いだ(文章も)。でも「サザン」は好きだ。なかでも『ツナミ』には数年間ハマッテいた(今でも聞き返しては歓心している)。こんなことを書くのは知ったらしいチャラチャラ言葉をさんざん聞かされて来たからだ。どこで。選挙で。
「ブログのコドク」としたこれを書きつづけて政治の話をしてみたい。しかし、政治の話しは難しい。たとえば、物体であれば、横から見たらこう見えた、上から見たらこう見える、と記述できるが、政治はひとつの現象であるから(移ろい流れてゆく現象にすぎないから)捕らえどころが難しいのだ。 確かに議員は存在する、議会棟もある。法律もある、役人だっている。しかし、それらをひとつの鍋に入れてかき混ぜたところで、そこに政治なるものは産まれないだろう。 
それから、政治家に関する話はしたくない。誰が落撰しただの、何票あっただの、後援しているのは誰だの、家系だの、二世だの。ここひと月余り、世間を席捲していたそんな話(たとえば、ブログで流通している政治裏話など)にうんざりしている。政治なるものは詳しくなればなるほど、言い換えれば、政治通(オタク)に成ればなるほど、本質から離れてゆくもののようだ。政治家の言葉が不思議とどれも胸に届いてこないのは、彼らが政治通であるからなのだろう。
とここまで書いて、それでもブログらしく今回の衆院撰挙(結果)について書いておこう。できるかぎり、簡単にしたい、箇条でゆく。せいぜいうんざりして下さい。
1. 変化の面
50数年つづいた自民党(1955~)の終わりの終わりであった。この期間はこの列島にとっての史上最大の激変の時代だった。そこに在っても(あるからこそ?)あいも変わらず政治権力の中心に居続けたこの党の命脈がつきた。このこと。最後の10年は公明という名の松葉杖が手放せなかった。皮肉にも終わりのアリアを歌い始めたのは、策士コイズミ。奇策により延命を図ったが、時代遅れのプレスリーでしかなかった。後に続いたものは演歌(時により軍歌)しか歌えなかった。このまじめでみじめな無能。なによりこの党を生かしめてきたのはヌエ(鵺)のごとき、変幻自在の変身能力であったのだが。
2. 変わらぬ面
当選した議員の数だけをみれば、自民と民主がところ位置を入れ替へそれに公明の減少分が民主に載ったと読み取れる。その他、有象無象は、変わらずということだろう。つまり、既得の権利(利権)に否、既得の制度の枠組みは否、それを保守してきた官僚(役人)どもは否、という構図は、コイズミ郵政選挙と同じなのだ。つまり今回も(しがみついている奴は引き摺り下ろせは)変化なし。
こうなったのは、「閉塞感」なる曖昧模糊とした言葉によって表現されている、ある感情の共有があるからなのだろう。この感情が醸成された背景の分析はムズカシイ。私は「不作為の罪と罰」を思うがこれはまた別の話だ。
3. 選挙の制度
話は少しすべる、民主主義とは何か。これは群れて暮らすヒト人類にとって永遠のテーマであろう。制度でこれを保障するとすれば、いかなる制度が適当であるか。これについて深刻な材料を示したこと。「小選挙区、比例代表、」という制度は、穏健なアメリカの二大政党制に憧れて導入したのであろう。しかし、結果は激変(ダブルスコアー)を将来した、それも二回続けて。この目論見違いについての論議がされるか否か。このことが、本当は、このクニの民主主義の成熟度を計る指標になるのだろう。このこと。例えば「中選挙区であったならば」のシミュレーションを誠意ある専門家に聞きたい。
4. その他
「有象無象」などと書いて失礼をしたが、これまでの革新政党は、これからが正念場なのだろうと考えた。今、彼らはそろって「是は是、否は否」、と言っている。(この言葉は、公明党の長年の口癖であった。フィラリアに罹った犬みたいに、この傷つけられた言葉を使うべきではなかろう。もっとも、これは私の感性に属することである。)当面は仕方ないとしても、この論理の帰結は相手なければ是非もなし。であることに気づくべきだろう。政治が「未来予想図」を示すことであるのであれば、「有象無象」政党は蛮勇を奮い、未踏の領域に踏み込んで、既得のありふれた(手垢のついた)イメージを超えたものを提示できるか否か、が勝負になるのではないか。それができなければ、絶滅危惧種に指定されかねないだろう。余計を付け加えれば、革新は保守の対立概念である(でしかない)から、このあとの、「革新」の棲息のあり方は変わらずにいることはできぬだろう。このこと。
5、付録
歴史はこう教えている。前世紀の最大の負の遺産、ファシズムや全体主義は、閉塞感が蔓延する社会に、スマートで合理的で新しく、モダンでお洒落な衣装をまとい、その上、陽気な歓喜とともにやって来たのだと。こんな教えも忘れないでおこう。

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