2010年3月2日火曜日

ブログの孤独 つづく

どうしてなのか、最近、ブログのデザインをいじっている。どうやらブログを持つことに飽きてきたらしい。

元々、パソコンは20年ほど前に死んだ親父が、生涯趣味としていた「短歌」を編集して「記念誌」を作るために調達したものだ。つまり、少しましなワープロとして。

電気を使ったやり取りは、せいぜい、黒電話までで、ファクシミリも眼中になかった。いま隆盛を誇っている、携帯電話は持ってない。家を出た子供からメールが来てる、とつれあいからケータイを渡されて、耳に当てて笑われる始末だった。(今はまずメガネをかける。)
もともと、そのレベルのヒネクレもんが、「パソコンを持っとるなら、あんたインターネットをひかれえ、おもしれえもんがたくさん~」の誘いにスケベ心を動かされて、覗いてみた。
「ブログ」なるものがあり、それを読んでいると、生来の「イッチョかみ」の血が騒いだのか、「野良通信」を始めてしまった。

「野良通信」としたのは、10年ほど遠ざかっていた家に帰ってみると、産廃業者が癌のごとく村に居ついて、パチンコ台を積み上げるや、堀散らかして素性の知れぬものを埋めるやら。燃やせるものは、電線のビニールまで燃やすやら、もともと、曖昧な隣地の土地境界まで踏み越えてあれこれしていた。(我が故郷は攻撃を受けまさに沈みかけた戦艦のようにいたるところから煙を上げていた)抗議したら、胸倉をつかまれた。「暴力をふるうな」と言うと、「本当の暴力はこんなもんじゃない」と凄まれた。今でも思い出すと、鼻の奥がツーンとする。

村に住む数人で「自然を守る会」を作り機関紙の名を「野良通信」とした。「ダイオキシン」が世間を騒がしていた頃の話だ。(ダイオキシンはどこにいってしまったのだろう)
やがて、メンバーはバラケ、機関紙も私一人では作るのも配るのも出来なくなっていた。「野良通信」はその名残だ。他意はない。

さて、ブログをいじったら、パソコン画面に「エラー」が連発するようになった。元々他人の作った機械、他人の作ったソフトを我が物のごとく扱えるとは思わないが、どうしたものか。だめならもはやそれまでだ、人生の如くに。

0 件のコメント: