2010年3月8日月曜日

ブログの孤独 つづく

漱石の観察(かんさつ)
漱石の癇癪(かんしゃく)

と題して少し書いて見たい。手元に「文鳥・夢十夜・永日小品」夏目漱石 角川文庫260、がある。

「あんたのはー」と引っ張って、「長い!」と「毎日見とるよ」という数少ない読者は言う。であれば、それが私なのだろう、わたしにとって丁度いい書き方がこれなのだ。今更、あれこれすべきだとは思わない、いや、思い出してみれば、生まれてこの方、一度もヒトの要求に答えたことはなかったみたいだ。このまま死んでも悔いは無い。読んで頂ける人には、漱石についてはこの日付に書き込むのでそのことをお伝えしておきたい。

さて、漱石を知らぬヒトは稀だろう。1867年に生まれ1916(T5)年に49歳で没。彼に関しては、膨大な論評がある「漱石」と検索しただけで140万を超える項目がある。詮索はそれらに任せて、美味しいところだけをいただこう。

私の好むものは、職業作家として、書いたものよりも、楽しみとして書いた?短いものだ。

「文鳥」。この話にあらすじは、こころならずも弟子(我輩は猫に出てくるようなそれ)の薦めで小鳥(文鳥)を飼い始め、それが、死ぬまでの話だ。近代の芸術家らしく「喪失」を書いたかどうか、そんなことは、あれこれ言い立てる人に任せて美味しいところだけ。

「文鳥の目は真黒(まっくろ)である。瞼の周囲(まわり)に細い淡紅色(ときいろ)の絹糸を縫い付けたような筋が入っている。目をぱちつかせるたびに絹糸が急に寄って一本になる。と思うとまた丸くなる。籠を箱から出すやいなや、」

名文家にはバイリンガルが多い。鴎外しかり、百閒しかり、最近では、奥本大三郎しかり。村上春樹もそうなのか、「~やいなや」は確か英語の教科書にあった。

「文鳥は膨らんだ首を二、三度竪横(たてよこ)に向け直した。やがて一団(ひとかたまり)の白い体がぽいと留まり木の上を抜け出した。と思うと」

さて、何度読んでも、しばらくしたらまた読みたくなる私のとっておきのところがその後にくる。

「文鳥は嘴を上げた。喉のところで微(かす)かな音がする。また嘴を粟の真中に落とす。また微かな音がする。その音が面白い。静かに聴いていると、まるくて細やかで、しかも非常に速(すみ)やかである。菫(すみれ)ほどの小さい人が、黄金(こがね)の槌(つち)で瑪瑙(めのう)の碁石でもつづけざま敲(たた)いているような気がする。」

小さなものを観察して、これほど細やかにくっきり書いた人を私は他に知らない。

さて、癇癪である。「しばらく死んだ鳥を見詰めていた。それから。」「そうして、激しく手を鳴らした。十六になる少女が、はいと言って敷居際に手をつかえる。自分はいきなり布団の上にある文鳥を握って、少女の前へ抛り出した。」そうして「下女の顔を睨めつけた。」

小さな鳥を冷静に観察する目はまた自分の激昂も冷静に観察しているのである。彼がこれをしなかったなら、もう少し長く生きられたかもしれないと思う。でも、100年の後にも読まれる作品にはならなかっただろう。

この項つづく

0 件のコメント: