2012年4月4日水曜日

いづれにしても

いづれにしても

私の子供が、体育館で倒れたのは、もう十五年以上前のことだ。彼女が中学生になりたての時だったと記憶している。何のことはない、よくある学期始めの朝礼の時のことだ。そんな事を学校から知らせてきたので、倒れぬように子供を鍛える代わりに、校長に会いに行った。様子の良いとはとても言えない父兄が訪ねてきたので、彼は少し驚いているみたいだった。私の言いたかったことは「思春期の体調不安定の子供を立せたままの朝礼は改善したらどうか」ということだった。「おかしいと思ったらしゃがみなさい。とは言っているのだけれど」みたいな返事だった。(毎年ブッ倒れる子供が続出する事の説明にはなっていない)「いづれにしても」座って聞く事ができる話を立たせて聴かせる理由はないんじゃないか。と言い、そんなやり取りをして、腰低く「また何かあったら来てくださいと」送り出された。
聞く処によれば、その彼(校長)は以後体育座りでお話を聞いてもらうことにしたらしい。私にしてみれば「いづれにしても」という否定し、なお接続する「接続語」が私の口から発せられた事に自分が驚いた事を覚えている。子を育てている「親」はいつの間にか新たな能力も開発されるらしいのだ。
これって、私は文句言いモンスターだったのだろうか。
そんな事を、大阪の礼儀にやかましい市長の話題に思い出した。(これで、止めておけばいいのだが。)

ところで、その後の中学校はどうしているのだろう?と電話を掛けて聞いてみた。出てきた校長の歳を聞いてみたら私と同い年。昔は「キオツケ、中指はズボンの縫い目に」みたいだったな~、と言えば「何事も軍隊式でしたな~」と、意気投合。「今はどうしてられる?」と朝礼の事を聞けば。「実は自分もぶっ倒れた事がある」と告白した彼は、座らせているとのこと。「これって、上からそうしろと指示が来るの」と聞けば、「それはない」とのことだ。教員一筋の彼に記憶を辿ってもらうと、十五年前ぐらいから座らせるように変わって来たそうだ。学校だって変わろうと思えば変われるんだ。倒れた経験のある校長先生もいることだし。
ついでに「国旗掲揚・国歌斉唱」の事を聞いたら「これは上からの指示がある」とのことだ「岡山は左がかった先生がいないので問題は起こっていない」とのことだ。初めからそんな「左掛かった」教員を採用していないのかも知れないな。と思ったがこれは言わなかった。論争をするために電話を掛けたのじゃないから。

追伸。この記事を書いた後、つれあいに「子供が倒れたこと憶えているか」と聞いたら憶えていた。ついでに、「中学校の校長も倒れたことあるらしいで」と教えてやったら「私も倒れたことある」んだって。意外な弱点を見つけたぞ。でも互いが互いの杖になってようやく立ってられるような歳になって、弱点の発見も遅いにスギルか。

4 件のコメント:

ヒゲMac さんのコメント...

倒れてますよ〜(^^ゞ
学校関係の写真撮影にいきますが・・・
今年は小学校で2人倒れましたねぇ。
ひとりは重体になってねぇ・・・

そして次は先生が倒れましたねぇ・・・
これは保育園・・・・

実は自分も倒れそうになりましたねぇ・・・あれってただひたすらじーっとして人の話を立って聞いていると、今回の自分の場合は急にふらぁ〜としてきました。

必要な撮影が終わって後は来賓とかの話を聞くだけだったのですが、その時の最後のほうですねぇ。 そしたらちょっと横の先生が倒れてしまいました。

自分はすぐに意識を集中して話など聞かずにカメラを見て、ボタン類を見て意識をそらすとなおりましたねぇ。

気分が悪くなる人もいるようですが、今回の体験はそうでした。
でも学生の時にお葬式で立っていたら気分が悪くなって、これは確実に貧血でしょうが、自分でその場にちゃんと座りましたねぇ。

きっとそのままバタンといく子供は気分が悪いではなく、今回の自分のように急にフッと前触れなく意識がなくなるのだと見て取りました。

でもまぁ座らせている方が確実にOKですね。 あれで倒れる人はそのままバタンですから怪我しますよ頭とか・・・危険ですわ。

野良通信 さんのコメント...

コメントありがとうございます。大阪の市長の「国歌を歌う時には手は横に付けて」という価値観を聞いて思い出したので書きました。今でもそんなに倒れているのですか。座らせましょうよ。

ゆりひなな さんのコメント...

私も、小中学生の頃、倒れる常連でした。
別にひ弱ではなく、どっちかというと丈夫やのに、朝礼はダメでした。
でも、先日、次男の入学式の国歌斉唱で立たされたときは、あまりにも考えることが多すぎて、倒れなかったです。
一心に、他のことを考えてると、意外と時間は早く過ぎるのですねぇ。

野良通信 さんのコメント...

コメントありがとうございます。こうしてみると、倒れたことのない私みたいな者の方が少数派なのか?「いづれにせよ」このクニの近代の教育では、「倒れる事」への反省と対応は今始まったばかりなのでしょう。「逆コース」は無しの方が良いと思うけれど。