2012年4月14日土曜日

グーグル画面を開けたら

グーグル画面を開けたら


「ドアノー」生誕百年の画面があった。彼と聞けば「水溜まりを飛び越える」写真を思い浮かべたが違うかも知れないな。(「水溜り」写真は、「アンリ・カルティエ=ブレッソンサン=ラザール駅裏、パリ、1932年」。だった、つまり間違えていた)。ドアノーと聞いて「ジャック・プレベール」を思い出した。私の持っているドアノーの本。この中に彼(シャンソン「枯葉」の作詞は彼だ)のポートレイトがある。それがちょっといい。


プレベール。彼の詩。「バルバラ」を載せてみよう。
「覚えているか バルバラよ

                             ジャック・プレヴェール/大島博光訳

覚えているか バルバラよ

あの日ブレストに おやみなく雨が降っていた

きみは 微笑みをうかべ

うれしそうに明るく顔を輝かせて

雨のなかを歩いていた

覚えているか バルバラよ

ブレストに おやみなく雨が降っていた

シアム街で わたしはきみとすれちがった

きみは微笑んだ

同じように わたしも微笑んだ

覚えているか バルバラよ

きみを わたしは知らなかった

きみも わたしを知らなかった

覚えているか

それでも あの日を覚えているか

忘れずに思い出せ

ひとりの男がポーチのかげに身を寄せていて

きみの名を叫んだのだ

バルバラ と

するときみは 雨のなかを彼のそばに駆けよった

明るく顔を輝かせて うれしそうに

そして 彼の腕のなかに身を投げた

それを覚えているか バルバラよ

わたしが 「きみ」と親しげに呼んでも

きみは そういうわたしに答えてはくれまい

それでもわたしは 愛するものすべてにきみと言う

一度も会ったことのないひとにさえも

愛しあうすべてのひとに わたしはきみと言う

その人たちを知らなくとも

覚えているか バルバラよ

忘れずに思い出せ

あの しあわせな町のうえに

きみの しあわせな顔のうえに

降っていたあの しあわせなやさしい雨を

海のうえに

兵器廠のうえに

ウッサン島の舟のうえに

降っていたあの雨を

おお バルバラよ

戦争とはなんとばかげたことだろう

いま きみはどうしているか

この 鉄の雨の下で

火の鋼(はがね)の 血の雨の下で

そうしてきみを 愛情こめて

腕のなかに抱きしめたあの男は

死んで亡くなったのか

それともまだ生きているか



おお バルバラよ

ブレストに おやみなく雨が降っている

むかし降っていたように

だが それはもう同じ雨ではない

すべては 傷(いた)めつけられ崩れ落ちた

それは 怖ろしくも悲しい喪の雨だ

それはもう 鉄の鋼(はがね)の 血の

嵐でさえもない

ただ単純に 雲なのだ

犬どものように死んでゆく雲なのだ

ブレストの流れに沿って

あの犬どもは 姿を消し

遠く ブレストからはるか遠くへ

行って 死に

もう あとには何も残っていない」

小笠原豊樹(岩田宏)訳。大岡信訳。いろいろある。ここでは、大島博光訳を選んだ(これが私の好む訳では必ずしもない、しかしそれはまた別の話だ)。一読して「愛と反戦」をテーマとしている。「ドアノー」1912~1994。「ブレッソン」1908~2004。「プレベール」1900~1977。いずれも、世界大戦を経験し、なお第二次大戦の只中を壮年で生きた(生き残ったと言ったほうが正確か、裏切りも卑怯もそこでは日常茶飯であったろう)。今ではここで歌われているような「マッチョ」なオトコはいなくなったし、その視線の先の清楚な娘も見かけない。にも関わらず私がこの詩を忘れ難いのは。ただ一点、切ないとも言える平和への希求の強さにおいて。

追伸。こんな粋な詩も思い出した。今度は小笠原豊樹(岩田宏)訳で
「夜のパリ

三本のマッチ 一本ずつ擦る 夜のなかで

はじめのはきみの顔を隈なく見るため

つぎのはきみの目をみるため

最後のはきみのくちびるを見るため

残りのくらやみは今のすべてを想い出すため

きみを抱きしめながら。」

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