2012年4月8日日曜日

岡山県瀬戸内市牛窓の「熊谷守一」展つづき

 岡山県瀬戸内市牛窓の「熊谷守一」展つづき

書くことに行き詰まると、絵(写真)に逃げる傾向が私にはある。机の引き出しに転がっていた「フォトショップエレメンツ7」をパソコンに取り込んで絵(写真)を加工してみた。

いつからなのか、揚げられたままに「挫滅」している舟。「おりいぶ」と船名が読める。おそらく、「瀬戸大橋」開通観光がらみでこの地の産物「オリーブオイル」と観光振興を当て込んで作られたものだろうか。とすれば、1980年頃の物だろう。1987開通の本四架橋「瀬戸大橋」の試みもまた「挫滅」しかけている。「我々は愚かのままで種の終焉を迎えるのであろうか」

こんなものがあった。懐かしい。使われてはいないらしい。舟を逆さに置いているだけの様だけれども、これは船ではない。凹型なのだ。FRPで作る小型船はこれを凹型としてその内側に本体(船体)を形成し舟を作る。何でそれに詳しいのかを述べれば、1972年に高校を卒業した私は、在籍した学校(大学)には行かずにFRPで舟を作る作業所のアルバイトをしていたことがあるからだ。
瀬戸大橋の本州側(下津井)にあった作業所は今はない。とっくの昔に潰れた。それには、私の「失態」も絡んでいたのかと思う(真相は解らない)。今思い返せば、その作業所は瀬戸大橋絡みで作られた物だった。準備に十数年、建設に十数年掛かるような巨大な国策工事は地元対策も欠かせない。作業所の社長の親は下津井の市会議員だった。作っていた舟は瀬戸大橋建設絡みの「海洋調査会社」(〇〇水中開発だったか)の舟だった。(こうしてみれば、原発絡みの地元対策がどれだけ深く長く地元に浸透しているかが類推できる)
失態の中身も書いておこう。FRP製の凹型の内側にやはりFRPで舟を作るのであるが、FRPどうしはそのままでは、刳(く)っいてしまう。そこで剥離剤としてワックスを凹型の内側に塗るのである。この作業を私がやった。単調で面倒でなお手抜きの出来る作業を私は真面目にしなかったらしい(悪意はなかった)。完成した船体は、作業所社長以下従業員の見守る中、完璧に剥がれること無く凹型を保っていた(これでは凹型も二度と使えない)。即日、私は馘首となった(職場に未練は不思議と無かった)。それから程なく、風の便りに作業所が「潰れた」と聞いたのである。
私には私にしか出来ない事しか出来ないのだ。その罰はもう充分受けている。

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