これはアサリである。飼っているわけではない。「砂出し」をしている。出したほうが貝のためになるわけではない。ヒトの口が砂をキラウためだ。つまり、この後、貝は水からじっくり火を入れられて、ヒトに食われることになる。シジミの詩。
石垣りん詩集 現代詩文庫46詩潮社1771年より
きわめて、論理的である。考えてみれば、こんなことを書かなければならぬ理由はだれにもなかろう。しかし、時には書いてみるのもいいのではなかろうか。こんなようにして。シジミ、アサリを見る度に思い出すわけではないが、ときおり私は、こうして思い出す。石垣りん、1920(T9)~2004(H16)。
ところで、先日の永瀬氏(1906~1995)の詩の手法に似ていると思われませんか。こんな詩が書かれ、またさかんに読まれたこともあったのである。
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