2010年4月19日月曜日

ブログの孤独 つづく

我々はどこから



中央下にあるのは、サクラである。毎年これを見る。花が落ちてしまえば、他の木に混じって山の一部分になる。そうすると、私は1年間この木のことを忘れる。

この木は「経済」としては、持ち主には一円の利益ももたらさないだろう。しかし、切られずにいて、毎年のこと、「おう、あそこのも咲いてる」と私には見られている、そんなサクラ。

こんな存在を、芸術とか芸とか、文学とか、詩とか絵とか、歌とかヒトは呼んでいるのではなかろうか。「おう、ここにこんなものが。おもしろい。」

我々は、この100年でそれまでの経済システムを捨てきた。ここ10年20年の激動に翻弄されているが、それは、その一部分に過ぎないだろう。残されていることで、私を年に一度覚醒させるサクラを見て、フランスの高名な画家(ゴーギャン)を思い浮かべた。

「われわれはどこから来たのか。われわれは何者か。われわれはどこへ行くのか」絵にしては異様に長い名前のこれは(検索すれば見ることができます。私はこの題を問題にしている)、1848年に生まれ1903年に死んだ、「ゴーギャン」の晩年に描いた絵の題名である。近代の象徴、株式仲買人を職としていた彼は、家族を捨て、植民地タヒチに行きこの絵を描いた。おそらく、最後まで答えは見つからなかっただろう。

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