2011年8月4日木曜日

地震のひと揺れが

地震のひと揺れが
地震のひと揺れが隠されていた問題を白日のもとに露呈させた。世の流れには節目節目があるようで、原子力発電の秘匿されていた問題も露呈しつつある。どんなに糊塗しようとも、洗い出された問題が二度とふたたび秘匿の館に戻る事がないように祈っている。
これが、かいつまんだ、大きな流れだろう。
しかし、私は、原発の問題は、我々の血肉に食い込んでいる習い性をも露呈させたと考えている、これはある意味原発より深刻かもしれない。
ヤラセ説明会、ヤラセメールに関しての事だ。しかけた電力会社、しかけた保安院、しかけたクニ。仕掛けられた住民、仕掛けられた反対派。の中間に「原発ゴモットモ」発言を要請されて、実行した市民が多数存在すること。
このことの問題は深刻だ。われわれは電力会社の経営者にはなれない、クニの中枢に座ることもまずない。われわれの選択可能性は要請されて「ゴモットモ」発言をするか、嫌なものはイヤダと反対をするかどちらかだ。そうして、私たちの身近に(家族かもしれない、兄弟かもしれない、叔父かもしれない、甥かもしれない)いるそれら「ゴモットモ」の人々。
あなたは、彼らを糾弾(否定でもいい)できますか。私は心もとない。しかし、それをしなければ、第二、第三の原発に類する問題はこれからも起こるだろう。このことは確実なのだ。

6 件のコメント:

名無し さんのコメント...

> 「原発ゴモットモ」発言を要請されて、実行した市民

生活のために従った人が多いでしょう。
投票行動でも同じです。
電力会社やその関連会社や下請の会社で働く人たちは、放射能の危険を知る機会が多いから、できたら原子力発電所と関わりたくないでしょうが、そこでの仕事を命じられればやらざるえない。
白黒に分けて灰色を黒に分類すると白が足りなくなる。

匿名 さんのコメント...

原発に対してだけでなく、疑問を感じていても口にすることなく、上役、行政、管理職におもねる発言をする人が多い。考えようともしない人よりももっと悪い。この人たちが変わらなければ、日本は残念ながら変わらないと思います。8月20日(土)午後、尾道市公会堂で小出裕章講演会を持ちます。今市民が自覚して行動する適当な教材かな?市民の反応は、それでもイマイチとか。よければ、ちょっと遠いですがぜひご参加ください。

sansan さんのコメント...

私もこころもとないです。
誰しも家族を持っているだろうし、その家族の
ためなら。。。

私はすべては価値観の問題だと思います。
人間の感覚はなんにでも慣れるという性質を
持ちます。いったん慣れてしまうと、より
気持ちのいいものを手に入れようとします。
文明の発展の底にあるものかもしれませんが、
慣れてしまうと、より過剰なものを手に入れ
ようとします。
資本主義のなかで暮らしながら、「お金」
だけではないという価値観を身に着けたい
ものです。

Maki さんのコメント...

こんにちわ。はじめまして。
ヒゲさんのブログからやってまいりました。
わたしは高知在住ですが、高知には原発がないのです。極貧県の高知にも当然オファーがあったのですが、年間10億円もらえると言われても拒否してくれた人たちがいるのですよね。
でも、最近やはりその極貧に負けて国の、処理場作る計画に応募した町長がいたのです。町民はやはり村八分にされるのを怖がって反対できなかったのですが、女性のサーファーの方が全国のサーファーに呼びかけて中止が叶ったようなのです。
やはり、今の人が立ち上がらなくちゃと思います。

野良通信 さんのコメント...

たくさんのコメントありがとうございます。
こんな、政治的な書き込みにコメントがあるなんて思いもよらないことでした。
2011.3.11から社会の流れが奥深いところで変わったのだと思いました。
多くの人が、原発事故の原因が人災(政治)にあると決着をつけた結果なのではないでしょうか。
さて、私の提示したテーマ「このクニの習い性」の克服。ついてですが、これは百年二百年をかけて何世代もの苦しい過程を経て克服するしかないでしょう。
とはいえ差し迫った課題をどうするか。「心もとない」にしろ、「あなたは間違っている」と言う以外にないでしょう。
さて今日も言ってこようかしら。

名無し さんのコメント...

> 「あなたは間違っている」

放射能でも、物理学上の半減期と生物学的半減期があります。
生物は主体的に活動します。

力学的なベクトルなら反対方向により大きい力のベクトルをぶつければ反対側に動き出します。
しかし、生物は、押し返されれば、それまで以上の力で押し返すことがあります。
逆に、主体の判断が転換すれば、自ずと反対側に動き始めます。

なかなか全体が動き出さないのですが、誰かが動き出しそれが伝播しないと始まらない。
宣伝・説得で、質と量が足りないから、難しい面がありますが、考えながら歩きながら鍛えて力を蓄えないと進歩しない。

時には決定的な分裂・対立を生みますが、公衆の面前での論争は問題を周知するのに効果があります。

一人ひとりの行動は全体から見れば確率的なもので、その総体が歴史的なもので、好かったか悪かったかは、結果からの逆算でしか求まらないのが辛いです(笑)