2011年8月7日日曜日

時には咎めを

時にはとがめ(咎め)
ずいぶん前のことになる。どの親も経験するように子が家を出て行くことがあった。親父は説教を垂れたものだ。「喰うに困ったらヒトのものを盗んでも喰わなければならぬ」(盗んでも食へ)と。つづけて、こうも言っておいた「当面の、喰う物があるなら、ヒトのものを盗んではならない」(食えるのに盗むな)。
はかばかしいあてもなく、世間をさ迷うと決めた子にそのくらいが言ってやれる精一杯のことだったろう。これからの暮らしの行く末に胸いっぱい、気もそぞろの子供の耳に届いたかどうか心許ない。幸いまだ、警察からは何も言ってこない。それにもう時効に属することでもある。
私は、ヒトが食うために何をしようと大目に見ることにしている。ヒトの道なんてそんなものだろう。

もっとも、このごろの金儲け(ビジネスチャンス)は「おど()す事・だます事・盗むこと」を手段とすることが多いようで。それはそれとして、また別の話題に属す事柄だろう。

さて、大目に見るにしても、粗悪品については咎めを入れておかなければならない。それが、大新聞の人気?コラムである場合、粗悪の害は計り知れない。
[毎日新聞・水説・2011.7.27長寿遺伝子とTPP」潮田道夫]のことである。
記事を要約すれば、「生物」は飢餓に晒されると長寿遺伝子が目覚め老化物質の掃除を始める、結果として寿命が延びるという学説がある。「社会」も同様にTPPで社会的長寿遺伝子を目覚めさせようではないか(そうしたら、賞味期限の過ぎたこのクニの経済はよみがえるだろう)。というものだ。
「学問的根拠はまったくない」「社会的長寿遺伝子など空想的造語に過ぎない」と適当に逃げを打ちつつ「あるとすれば」の論理を展開して見せるのであるから。自ら粗悪品と知りつつの押し売りみたいなものでいっそうの事たちが悪い。

生物学の成果を都合のいいように社会解釈に当てはめ、資本主義制度の擁護を試みる風潮は今に始まった事ではないが、すでに批判され論破されている事柄なのだ。潮田氏ほどの人物がそれを知らぬはずはなかろう(逃げをこしらえている所がア(イ?)ヤシイ)。この際、知らぬ顔の汎米(半平衛)を決め込むほどの人物と言い直しておこうか。

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