2011年8月18日木曜日

現在犬五、猫四

現在犬五、ネコ四
これが、今の員数である。遡って数えたことはない。命を相手にすることは、「誕生」も、そして「死」も相手にすることである。このあいだから、いっぴきのネコが弱っている。ものを食べられなくなってもう十日になるか、深夜、起き出した私の気配を察したものか、背骨の浮き出た体を揺らして、台所に現われた。彼のために、水を汲んでみたが飲む力もない。
朝方、オフクロが呼ぶので行ってみると、彼はおふくろの膝の上で横たわっている。「もう、頭をあげることができないようだ」とおふくろは言う。「そっとしておいてやれ」と私は言う。
ヒトの死にも動物の死にも散々立ち会ってきた。しかし、慣れることはできない。それでいい。
こうして、ブログにそう書き込む、私の業(ごう)も十分に糾弾されてしかるべきであろう。
背中を撫でていると、その手を思わず引くほどに、数回烈しく大きな息をした後、息絶えた。「もう、楽になれ、もういい、楽になれ」と撫でていた私は、失禁の始末をして後、洗面台の鏡に泣きはらした自分の目を見ることになる。彼の名は「チョコ」と言った。兄弟の「ミント」はずいぶん前に行方知れずになっている。

1 件のコメント:

ヒゲMac さんのコメント...

目の前でそうして死んでいくものを見ると辛いです(>.<)

同じくして私の所も両手の指の数を越えるぐらいの猫が亡くなりましたが、その内の半分以上が我が家の犬の犠牲に・・・

人間にはとても優しい我が家の大きな犬ですが、同じ4本足のものは大きさ関係なくNG(>.<) よって猫は・・・

最初はショック、でも2回目からは「またか・・・」3回目ではとうとうオカルトスプラッター映画さながらの光景がベッドに・・・

しかし、悲しみがすでにわかない・・・これはある意味イランあたりの人が毎日戦死者とか内乱で死んだ人をみて悲しみなどなくなるあれと似ているのではと感じました。 反対に遺体をみて、今回は何が原因で死んだのかと冷静に手に持ってやられた場所を観察したりもしていました。

ただ、目の前でジワジワ亡くなる姿は辛いですねぇ。 見たら死んでいたはそんなに辛くはならないのがわかりました。

今の我が家はすでにその犬が老犬、故に死に行く猫が病気とか事故以外はいません・・・が・・3匹から増えませんねぇ。