2011年8月28日日曜日

夢見る資格 番外

夢見る資格 番外
私の子供たちは親元から出て「独立」している、つもりらしい。しかし、看板とは違い、事あるごとに、親に言い寄ってくる。「野菜を送れ・米を・車を・ちょっとこのオンナ(オトコ)を見てみて・云々」それはそれでいい、つれあいとの縁は切ることが出来る(だからこそとりわけの気遣いを互いに?忘れてはいないつもりなのである)が、親子・兄弟の縁は命ある限り切り様がないのだから。甘えられるうちに甘えておきなさいと思っている。(それも親の楽しみのひとつ?)
かくのごとくの思いを辿っていると、「首都・東京は東北の子供」みたいなものだ。という閃きが襲ってきた。
話を簡単にするために、いま現にあるだろう、我が親子の如くの関係を脇に退けて考えてみよう。
東京は誰が作ってきたか。出稼ぎで首都の路や家を作ったのは誰か、子の未来のために田畑を売ってまで東京に学資を送ってきたのは誰か。首都(東京)が生きるために出したゴミ(産業廃棄物)を受け入れてきたのは誰か。首都の豊かな消費のため危ない原子力発電を受け入れてきたのは誰か。いや、首都の色町に娘たちを供給してきたのは何処か。首都の飯場に労働者を送り込こんできた地方はどこか。病んで使い物にならなくなれば、故郷に送り返してシラを切っているのは何処の誰か。
こうしてみれば~。と私は考えた。甘えられるうちは甘えればいい、なにしろ「親と子」なのであるのだから。
しかし、犬(学者犬も、政治家犬も、経済界犬も)は吠えても歴史は展開する。東京(首都)はもうしばらく後に「親を失った事の本当の意味」を味わう(知る)ことになるだろう。

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