2011年8月13日土曜日

主夫と生活

主夫と生活
主夫()であれば、炊事、洗濯、育児はこなさなければ、失格の烙印を押されるだろう。
ところが、家電がおおかたの事をやってくれる時代がきて、もう半世紀になる。親元を出て私は、自炊してきたから家事は苦にならない。おまけに「そこをどけ、わしがやる」と言わなくても、相手は見事にそこ(台所)には居ないのである。つれあいは最初に作った味噌汁をダシぬきで作り、実力の程を見せつけ、あっさり厨房を撤退した。洗濯機も回してきた、オムツ洗いから、フリル?のついたようなパンツまで散々洗った。ブラジャーに到っては、この大きさはアイツのだ、と解るまでに精進した。下着泥棒のニュースを聞く度に「どうコロンでも、この趣味にハマル事は無かろう」と少々さびしい。
と、ここまで書いて、しばらく放っておいた。
今朝、新聞に「長男の嫁にお盆は地獄です」(毎日2011.8.13の川柳欄)。これを見た。
それで、つづきを書いてみる気になった。最後まで冷静でいられるかしら。
ただでさえ、暑いのに盆ともなれば、墓掃除、墓参り、帰省の迎え、家の掃除、庭の掃除、寝間のしたく、破れた網戸の張替え、と長男の嫁は忙しい。ところが、概して帰省した者は、お客様然と座り込んだら、ご馳走が出るまでペチャクチャ話を拡げるだけなのである。「長男の嫁」にしてみれば、こんな川柳のひとつもひねりたくなるというものだ。(ちなみに作者は男性のようである、当事者はそんな気分の余裕もない?)
我が家でも、八十半ばを過ぎたオフクロが、主婦事を始めた。私と言い争う度に、「ここは私の家だから、私の思うようにさせてもらう」と言い立てるのであるから、任せておけばいいのだが、毎年、盆開けには疲れから体調を崩すのが習いだ。
帰省する姉に『今すぐ、オフクロに連絡して、「私たちが帰るからといって何もしてはいけない」と言いなさい。彼女の体力はそのくらいのものです。以前から、夏明けの彼女の消耗ぶりについては指摘してきましたが、あなたが、何を聞いていたのか疑います。』とメールした。
返事はこうだ。『母には一昨日もうかなりしつこくなにもしないようにと伝えましたし、毎年夏の体調には私も気を配ってきましたので、「何を聞いているのか疑う」と言われても心外です』
私も負けてはいない『私の言うようにすればいいのです。今朝も「あれを片付けたらいいのに」と、言っていたから。このメールをしたわけです。あなたは自身の対応に自信を持っているかもしれないけれども、それを疑いなさい。「何を聞いているのか疑う」の意味はそういうことです。』
こうして、兄弟間のいらぬ軋轢もお盆に生まれるのである。
さて、主夫の私は、何もしないでこうしてブログにうつつをぬかす事にしている。道具(家電)は揃っている。必要と思えばできぬ事はない。あとは帰省した者の「ヤル気」だけなのである。

8 件のコメント:

名無し さんのコメント...

> 「長男の嫁にお盆は地獄です」(毎日2011.8.13の川柳欄)。

長子相続であった頃なら、財産を引き継いでいるから少しは奉仕してよね、となっても、今は均分相続が増えただろうから、割に合いませんね。

「お客さん」の中にうまくリーダーシップを取れる人がいないと、お荷物のなります(笑)

野良通信 さんのコメント...

家父長制の名残。長男の相続については、大いなる勘違いが現代には存在します。
相続とは否応無く負債を含めて相続するのです。そのうえ、家父長制のもとでは、財産は個人のものではなく家のものでしたから。長男は、財産の代表管理者でした。財の処分決定権は「親族会議」にありました。その上、「家」の存続のためには、血の繋がりは絶対条件ではありませんでした。さかんに行われた「養子」がそうです。
こうしてみれば、長男の嫁の役割などというものは、現代の生み出した幻影(夏だからお化けか)であります。コメントありがとうございます。

名無し さんのコメント...

地域や一族によって差が大きいのかなと思いました。

「家長の独断を抑制し,親族間の話し合いでものごとを決する制度は,少なくとも旧民法にはなかったといわなければならない。」
「日本の家族」はどこへ行った - とりあえず法律・・・・かな?
http://blog.goo.ne.jp/mmi3/e/a3fe5c250a293bd6df374fbc03c80fe6

男子がおらず、母方の祖父は養子だったそうですが、威張っていて、財産の処分も勝手にやっていたそうです。
今更と思いましたが、母親はそれについて恨み言を言っていました(笑)

父方の祖父は長男ではなく自立を余儀なくされました。
私には、本家筋の知り合いは全くいません。

母方・父方とも、寄り合いで決める習慣は無かったようです。
両家とも元々は農業が家業でしたが、農村から離れて都市部で生活していたからかもしれません。

匿名 さんのコメント...

長男の嫁 どんなに悔しい思いをしてきたか。恨みつらみを持っている女性は多く、私もその一人。良い解決策は無いものか?ところで、野良通信さんのお母さんの場合は、ちょっと違うと思いますよ。だって、楽しみに待っていた娘が会いに帰ってきてくれるのですから。「なんで私ばかりが・・」という気持ちではなく、「あれもしてやりたい。これもしてやりたい。」と張りきって、後で疲れが出るということでしょう。一度お母さんの気持ちを聞かれたらいかがでしょうか?それと連れ合いさんのお気持ちも。

野良通信 さんのコメント...

コメントありがとうございます。
名無しさんの言われているように、私の提示した「家父長制」は制度概念で、実例は見つからないでしょう。ちようど、政党政治概念が現在のありさまで表現されているように。
私の強調したかったことは、長男の独断では、家父長制度は成り立たない。家父長制の中では「個人」はただ「家」に奉仕するだけの存在だという事です。
資本主義成立のためには、「身の振り方の自由、財産の処分に自由な個人」が必要ですから、解体されたのですね。私はそう考えています。

野良通信 さんのコメント...

匿名さん。コメントありがとうございます。
お見通しのように、「してあげたくて」する側面もありますね。同じ行為でも、「恨み」しか残らないこともある。
我が家族のケースを肴に、「帰省と嫁問題」を一般化してみました。少しは成功したかな。
昼寝から醒めてみれば、オフクロとつれあいで私の寝間を除いて家中をキレイに片付けていました。どちらも娘が帰省する。
ところで、長男の嫁といえば「介護」の問題が出てきますね。盆、正月よりこちらの方が問題だ。

匿名 さんのコメント...

野良通信さんは、ご自分の介護を長男の嫁に期待されていますか?それとも、連れ合いさんにご両親の介護を? 「保険あって介護なし」が現実ですが、それに頼るしかない。私たちの年代(勝手に同世代かと思いこんでいる)は、いかに自分の始末をつけるか。自己責任の覚悟が求められそうです。

野良通信 さんのコメント...

コメントありがとうございます。
私の行く末の具体的な姿をイメージしたことが無かったので意外な質問でした。
私には、物理的に長男はおりません。ですから。「長男の~~」からは免れているわけです。
できるだけ、すみやかに、おさらばを。と。この世に対して思っていますけれども、どうなることになりますか。
いずれにしても、同行の者は沢山あるでしょうから。にぎやかに行きましょう。と思っています。