2012年3月20日火曜日

統治と自治

統治と自治

町内会の役員を4月から引き受けた。役員なるものを少し説明をしておくと、役員は二軒をひとつのチームとする。一軒が役員会に出て、もう一軒がお知らせなどの配りものと会費の集金をする。これが基本。その上で、持ち回りで二年を一期として平等に配分される。我が町内会はおよそ二百軒が所属し、人口はおよそ五百名。全体を十の組に分けそのひとつの組、軒数にして十四軒が私の組だ。私の組の場合、十四÷二×二=十四。およそ十四年に一度回ってくる。
以前引き受けたのは西暦二千年のことであった。それから十二年。心待ちにしていなかったと言えば「嘘」になる。以前(2000年)の時は「円形脱毛症」になった。それだけスリリングな展開と結末。その経験の後の今回のエントリーである。(数日前、町内会総会に出席すると、二千年体制から生き残った連中が挨拶に来た「お手柔らかに」ということなのであろう。 彼らの挨拶は失望に終わるであろうか。そういえば、総会の議事の中で、地元から出ている市会議員の市政報告会の案内をしていた。「みなさん、ご参加よろしく」だって)
これから先、役員任務の展開と意見をこのブログで表現出来ればそれにこしたことはない。と考えた。出来るかどうか。上手くブログに表現出来なくても私は私でしかない。「私」は「私」を生きるしかないのである。

ところで、『統治と自治』と表題に記した理由を書いておこう。
「統治」のこと=「ただの任意団体」と法的に規定されるこの「町内会」なるものが地方自治体(岡山市)には「統治」の重要で便利な「装置」と位置づけられていることに由来する。
「自治」のこと=歴史を遡れば地域の議会であった「寄り合い」機能は戦後になって町内会として変化した。これは「自治」を行う能力がある。
統治と自治は対立する概念である。もともと私が勝手に持ちだした概念でもある。実際の現場では入れ子細工に複雑に絡み合っているのである、統治も自治も。私のこの思い込み適切か否か。乞うご期待だ。


いずれにせよ。「クソ」みたいな何かが町内会に存在しているとすれば、それを改良する以外に、現実に立ち向かうすべ(術)は他にはないのである。

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