2012年3月27日火曜日

春の一日

春の一日

春なのか、纏(まと)まってものを考えられない。浮かれているのであろうか。「フェイスブック」で遊んだ痕跡を記してお茶を濁そう。順は時系列による。「池堤の草刈」については纏(まと)めて記したいと考えているけれどもどうなりますやら。それはそれとして、早朝、つれあいを職場に送る時。行き交う車を見て「こんな時間に、家を出て働きに行く者は貧乏臭い格好をしているな」と言ったら「アンタには言われとうないと誰も思うで」といっていた。事ほどさように自分の事は解りにくいのである。

溜池堤の草刈をした。
誘ったのは十名ほど、ほとんど来てくれた。平均年齢60歳をはるかに超える。私の係わる『水利組合』も捨てたもんじゃないと思ったことだ。地元から出ている市会議員も草刈機を持って参加した。彼の親は百姓であった、彼の親が子牛の口を開けて子牛の歯が生え揃う時を教えてくれたのは私が小学生の時だった。互いに遠くに来たものだ。草刈りの後の一服の時(一休みの時)実に貴重な情報が飛び交う。タラノメ盗人のこと、椎茸盗人の事、タケノコ盗人の事、中国の若者をニホンに来させる時、ブローカーが幾らの口銭を取るかについての事。イノシシの跋扈(ばっこ)のこと。等など。草刈機を杖がわりにするほど体力の衰えている身なれども、気持ちいい朝の作業と成った。



朝の挨拶
朝7時すぎ、我が村の路地道で中国からの若者の一団(10名ばかりか)に遭う。朝の散歩らしい。私を見かけて彼ら(女性がほとんどだった)は大きな声で「おはようございます」と言う。私も負けずに「おはようさん」と答える。私の声が、なんだか彼の国のイントネーションみたいに尻上がりに成ったのに驚く。聞き耳を立てると、彼らの雑談は、彼の国の言葉で交わされているみたいだ。翻訳すれば「ニホンにも変なオジサンいるわー」であろうか。そんな鄙(ひな)にもまれな「団体」でなければ、彼女達のファッションはどの国にも共通の若者の仕草、細いジィーンズに流行のジャケツト(かえつて目立つ正装だ)。彼らはこの村に出来た『日本語学校』の生徒達なのだ。ひと月もしないうちに、仕事先を見つけて居なくなる。何処でどんな労働に就くのか。私は、彼らの人生の幸せを願っているけれど、心配もしているのである。このクニの「変なオジサン」として。


レシピの事
近くの「スーパー」に食料を買いに出かけていた。店内には子供が目立つ、ゲーム機を置いてある一画でちびっ子ギャンブラーが奇声を上げている。学校が休みに入ったのだと気づいた。
何を作り、何を食うか。はメニューの問題だ。どう作るかはレシピの問題だろうか。我が家で何を食らうか(メニュー)について何時も悩む。我が発想は何を基準としているのか。これがアヤフヤであるからだ。子供の小さい時には、「アレ食べたい・コレ食べたい」と言う物を作っていた。これは簡単だ。家族の誰かが熱を出せば「鍋焼きうどん」を作ろうか、お腹の調子が~、という時は「茶粥」でも。という調子だ。これも悩まない。いや悩む余地がない。ところが、そういう『要求』のない時、何を基準に何を食らうか。食卓に何を並べるか。コレは、考えてみれば意外に深刻で奥の深い問題なのである。
ところで、「ナマの鮭」を購入し塩をまぶして風に晒した。



メニューの悩み。つづき。
このあいだ溜池堤の草刈りに集まった面々と雑談していて気付いたのだけれど、彼らは身近の食材を好む。例えば「タラの芽」であり、「タケノコ」であり、「椎茸」であり、「蕨」であり、「土筆」であり、「里芋」である。商品作物としての「米」「玉葱」「キャベツ」はその範疇にはない。商品作物が「商品」として扱われなくなった今。我々も目覚めて『先祖』の食を探求してみるのもいいだろう。私は久しぶりに行った畑で「菜花」を見つけた、放置していた白菜に花が咲きかけている。「菜花で散らし寿司」を作ろうかと考えた。烏賊を入れるか、貝を入れるか、魚はサゴシにするかそれとも抜くか、蓮根は入れたい、エビの赤色はあった方がいいか、ゴボウやニンジンはどうするか、春だから卵の薄焼きは欠かせない、いやいや、菜花の微かな苦味を味はうにはいっそシンプルがいいか。料理なんてこんな時が一番楽しいのである。

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