コトバの豪腕 3
「なめとこ山の熊」宮沢賢治の朗読をラジオで聞いて感動した事を発端とした、このブログのなかのブログは行き詰まっている。「本」はともかく読み通うそうと、私が惰眠をとる、枕辺に移動させられた。で私が昨晩読んだのは、『人口から読む日本の歴史』亀頭宏・講談社学術文庫1430、だった。どうしてそれをの答えは、それがそこにあったから、としか答えようが無い。
「コトバ」を相手にするのはシンドイ。特に賢治みたいな、言葉の秘剣、妖剣、使い。37年の生涯(1933年昭和8没)をコトバと心中したみたいな、人物を相手にすればなおさらそうみたいだ。
それはそうと、田村隆一(1923~1998)という詩人の詩を載せてみたい。最近読み直して感心した詩(1962)です。
「帰途
言葉なんかおぼえるんじゃなかった
言葉のない世界
意味が意味にならない世界に生きてたら
どんなによかったか
あなたが美しい言葉に復讐されても
そいつは ぼくとは無関係だ
きみが静かな意味に血を流したところで
そいつも無関係だ
あなたのやさしい眼のなかにある涙
きみの沈黙の舌からおちてくる痛苦
ぼくたちの世界にもし言葉がなかったら
ぼくはただそれを眺めて立ち去るだろう
あなたの涙に 果実の核ほどの意味があるか
きみの一滴の血に この世界の夕暮れの
ふるえるような夕焼けのひびきがあるか
言葉なんかおぼえるんじゃなかった
日本語とほんのすこしの外国語をおぼえたおかげで
ぼくはあなたの涙のなかに立ちどまる
ぼくはきみの血のなかにたったひとりで掃ってくる」
センチメンタルにウンザリしましたか、でも、これがここ60年の時代の最良の「感性」なんだな。少なくとも、賢治はこんな泣き言はいわずに、書き続けたヒトでした。命と引き換えにするようにして。
この項は続けたい。
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