2010年2月23日火曜日

ブログの孤独 つづく

コトバの豪腕 4

これでお終いにしようと決めた。賢治のこの作品のどこがどう心地よかったのか、どこがどうなって心地よいのであるかを私なりに書いてみよう。それで、おしまい。あとは、あなたが読むか読まないかだけだ。検索すれば画面でも読めるみたいだ。

「なめとこやまの熊」の最初の三つのセンテンスの文字数は17・11・15で始まる。ところが、このリード部分を過ぎれば、いきなり文字数が100を超えるセンテンスが現れる。「なめとこ山の熊のことならおもしろい。なめとこ山は大きな山だ。」さあさあ、大きな山に棲む熊の話が始まるよ。興味のあるヒトはついておいで、興味のないヒトは帰ってちょうだい。もちろん御代はいらない~と始めて、こちらが、まごまごしていると、いきなり、鼻頭らをつかまれて物語の中をひきまわされる。これが、賢治の豪腕その一。

豪腕その二。隠喩・直喩・擬態語を総動員する。「なめとこ山は一年のうちたいていの日はつめたい霧か雲かを吸ったり吐いたりしている。まわりもみんな青黒いなまこや海坊主のような山だ。」「洞穴ががらん」「ごうと落ちて」「そこをがさがさ」「ごちゃごちゃ」「熊はなめとこ山で赤い舌をべろべろ吐いて」

思いつく限りの手練手管、すれっからし、業師。だと思う。そして、この技は目で読むよりも耳で読む方が効果をあげるだろう。

資料
「なめとこ山の熊」は、1927年(S2)30歳頃の作品。彼は「雨にも~」以外にも、優れた詩を書いている、彼の詩に興味のある方は、「永訣の朝」を検索してみてください。彼はまた優れた「方言」の使い手でもあった。

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