2010年2月15日月曜日

ブログの孤独 つづく

オリンピック


冬のそれが行われていて、「日本、ニッポン」と連呼するアナウンサーが嫌で見ていない。「にっぽん?なんぼのものなら。」の気持ちはいつでも私の中にある。熱狂に駈(から)れて「突っ込んでこい」みたいな不毛の歴史を誰ももう体験したくないだろう。私の内の愛国の気持ちは、暴走を自制しなければならぬ程あるのであるが。

オリンピックといえば、私は、1964年だったか「東京」のそれを、テレビで見た世代だ。アナウンサーはアフリカ諸国の入場行進を「1960年はアフリカ諸国の独立の年でした。」とやっていた。当時は感激した。今から思えば嘘ばかり、それから半世紀、アフリカ諸国の去就はどうだっただろうか。その記憶のある限り、私はアナウンサーの興奮には付き合わない。

前置きが長くなっている。こんな前置きを書くためなら、ブログなど書かない。黙っている方が心の平安にはよろしい。書きたかったのは次のことだ。

今朝、新聞を読んでいると、「フリースタイルスキー、女子モーグル上村選手が4位」の記事に、彼女のつれあい(夫)が「よくがんばった、エライ、結果は天気みたいなもの、ケセラセラ、と思う」(引用は正確ではない)と『いたわった。』とあって、これはいい、つれあいの、失意の時、こうすればと感激した。いや、私の下心を抜きにすれば、これは、彼の本心であろう、彼女は「突っ込んでこい」みたいなマスコミ攻勢に晒されていたから。

さて、ブログ書く私は、妻の失意を、不謹慎ながら「待ち望む」ことに成るのであるが。

それが、すでに過ぎてしまったものやら。これからのものやら、いや、今起きつつあるものやら、解らない。とりあえず闇雲に、「よくがんばった」とやってみるか。ウーン、たぶん、とんでもないことに、なると思う。

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