「私は地球」これ程の規模の比喩はなかろう、これを越えるとすれば、「私は宇宙」か。「私は神」かだが。「神」に関してはつい60数年前まで実存していたので「宇宙」が最高だろうか。御託は程々にして、この詩は極めてリアリティーに富んだ比喩によって出来ている。
思潮社版1996年第二版
「現代詩文庫1039」より
「ガガーリン」による地球への報告「青かった」。「アポロ計画」での宇宙からの地球の映像。いずれも1961年から1972年にかけての出来事だった。それに触発されての彼女の「詩」だと考えてよかろう。
妙に、極めてエロチックであることにお気づきだろう。そうなんだ、ちょっと周りが困るほどのスケベが彼女の詩の芯の部分なんだな。「女」はそういう存在である。と相手にされなくなってから気付いている、「手遅れ」なんだなこれが。
稲を作る私は、しばしば挫折して「屍衣」をお願いしたいくらいである。いずれチャンスがあれば「稲の葉先に時をきめて昇る水玉」を絵で載せる事が出来るだろう。7の月。夜明けに稲田に行ってみれば、茂り始めた稲の葉先に水滴がびっしり付いているを見ることができる。彼女の言うようにそれは、大気の水分が付着したものではなく、稲が土から吸い上げたものなのだ。正直に言えばそれを見ることはあっても彼女の詩を読むまでそれの意味を知ることはなかった。「永瀬清子」死してもおそるべし。
この項、おしまい。
2 件のコメント:
はじめまして、水無月と申します。
少し前から、少しずつ読ませていただいております。
永瀬清子さんのこと、初めて知りました。「私は地球」ダイナミックな詩ですね。本屋で探しましたが見つからず、やっと今日図書館で見つけました。楽しみです。
自分の感性にぴたっとあう詩に出会えたときは、ほんとに嬉しいですね。
「どんべえ物語」、天野忠さん、懐かしいです。
「風景の中の風景」は、初めて知りました。考えさせられました。勉強になります。
これからも、楽しみに読ませていただきます。
コメントありがとうございます。
「風景の中の風景」は限定版かと思います。実は、これは、「あとがき」を書いた、坪井あき子氏から直接もらったものです。
「坪井あき子」氏は詩や文章で現在もご活躍です。
私のことを申し上げれば。どこまで、書けるかは解りませんが、あなたと同様、言葉で紡いだものが好きなようで、これからもつづけようと思います。
コメントありがとう。
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