2010年10月11日月曜日

今日は押し寿司

押し寿司
きのうは、祭りだったみたいで、遠くに笛の音が聞こえていた。神輿を担がなくなってどのくらいだろう、最後の何年か「担いでくれ」と頼まれて二三回断ったら疎遠になった。神さまの方もこいつは「神も仏も無いヤツ」と見定めたのだろうか。
さて、遠くの笛の音を聞いていたら、寿司のたぐいが食いたくなった。「ちらし寿司」もいいが、少量作るのは面倒だし、煮物と同じである程度の量を作らないと「ウマイ」という味にならない。幸い、冷蔵庫には数日前に漬けた、サゴシの酢漬けがある。酒のつまみにしていたが、これで、押し寿司を作ろう。これなら、量の多寡の影響はないだろう。
バットにラップをひいてその上に酢じめのサゴシ、皮の部分は下に
酢飯を作って
酢飯を冷まして詰めた。やかんで重しを
やかんには水を入れている
しばらくおいて裏返した絵


こうしてみれば、己が何を興味としているかが解る。「結果」もさることながら、興味の相手は「過程」なのだ。先日、料理と絵との関係について書いた。私は食らう寸前の皿に載った料理に興味がないみたいだ。また、台所に運ばれる前の素材についても同様だ。わたしの興味は、或る物をどう受け止め、それを、どう加工しようとしたか、その理由は、そしそ加工はどうなったか、ならなかったか。それだけだ。

ヒトは己の好むものにしか反応しない、それでいい。人の命は、当人がもくろむよりいつも少しだけの短いものなのだから。
ところで、この寿司はイケテました。食べてる家の者を観察すれば、一切れ食いつつ、目は次の一切れを狙っていた。







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