2010年10月9日土曜日

料理

料理はつづくよどこまでも~~
たいしてご機嫌でもない、さてきょうもきょうとて。



料理を絵にしたりブログに吊るしたりする味気なさについて、あれこれ考えてみた。
まな板の上に、鯖がゴロンとしている、今日ならば、尾頭付きのブタが横たわっている。これは、絵にならない。また料理には刃物が欠かせないが、それが、ゴロンと転がっている、これも絵にならない。なぜだろうか。
絵にする前のそれらは、そこにあっても問題を起こさない。絵にした途端、それは据わりの悪いものとなる。
これは絵を見るこちら側の意識が、つねに絵に意味を見出そうとしているからではないのか、意味を持つ以前の物そのものの持つ無気味にヒトは耐えられないのではなかろうか。
したがって、ブログの絵の鯖は捌かれつつなければならぬし、刃物・包丁はヒトの手に持たれて何かを切りつつなければならないのだ。そうすれば、そこには意味が付きまとう。
さて、これが、キュウリならどうか、ナスならどうか、想像してみてください。

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