2010年10月24日日曜日

今日は稲刈り

きょうも稲刈り
背中や腕や足に鈍い筋肉痛はあるが、今日も今日とて稲刈りだ。と、田に行けば、隣で畑作をしているS氏に捉まった。彼は呼止めるやいなや「お願いと言うよりも、要望じゃな」という口調で始めた。
S氏は、市内から毎日この谷に通ってさまざまな作物を栽培している、もう5年ほどになるか。「ワシは観光農園をしようと思うとる。来てもらうヒトに気持ちよく居ってもらいたい、だから、畑の周りの草も刈るし、道の草も刈る、水路の草も刈る、そんな事あんたは知らんじゃろう。あんたは、池守で水利組合の世話をしとるんじゃけど、水路や道をキレイにするのは水利組合の仕事じゃねんかな」かいつまむと彼の要望はこういうことだ。
そういう理屈も成り立つな、と感心した。しかし、我が水利組合のたかが5本程の草刈機で、それは、一日では無理だろう、対象の面積はかなりのものだ。おまけに、夏のシーズンに何回かはやらないと彼の望むレベルにはならないだろう。
つまり、水利組合の掃除は、田畑の耕作に支障の出ない最低の範囲でやっているのだ。比喩でいえば、「住居」の掃除なのである(手抜きは誰しもあろう)。彼の言うような、「店舗」の清掃レベルとは違う。そんな説明に「勝手にせえ、という事かな」と彼は激昂したりする。
たしかに、ジリ貧の農業は、何んとかしなければ滅びてしまう。彼のように、「なんとかしよう」という試みの芽は摘んではいけないのである。たとえそれがいっけん無謀にみえるにしても。と考えた。
いやむしろ、ヒトの目が離れれば、市街地に近いこんな谷は産廃業者の格好の餌食になるだろう。立場の違いによりヒトの想いは互いにすれちがうけれど、これは止揚不可能な矛盾ではない、とも考えた。
彼の目が、私の後ろを見る。振り返ると、つれあいが、稲刈り装束でいる。オオ、そうだ、稲刈りだった。「また、おはなししましょう」とコンバインを動かしはじめる。近くで、彼女は弥生の刈り取りみたいに、稗の先だけ摘んでいたりしている。「そんなに一緒にいたいのか」と思ったりしたが、マチガイだったようだ。適当に稗の頭を刎ねると、「そんじゃあ」とさっさと帰っていった。
朝から、田圃には行ったようだが、あの男の事だ、「さぼって」いはしないか見に来たのだ。

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