2010年11月21日日曜日

日記

20101120日の日記
昨日、K氏より電話があり、署名活動を手伝って。と言われて、ノコノコ出かけた。場所は、コープの駐車場。計画中の産業廃棄物処分場に反対する署名集め。土曜日の正午前、三々五々買い物に訪れた、老若男女の大半は、わざわざ足を止めて署名に応じてくれた。思うに、原発や焼却施設や、葬祭場やと似て近くに住む者には迷惑な施設なのだから、表立って断る理由はなかろう。断るとすれば、「集めている者達がキライだ」ということだろう。私はすでに稼動している産廃施設に苦しめられている者だから、署名もするし、集めもする。

書き忘れているが、夜明けを待って、軽トラに「タコメーター」(エンジン回転数を表示する計器)を取り付けた。道を走る車にはこのものは本当は要らない、趣味の領域だ、だから楽しいし、愉快である。時速60キロの時3000回転。6000回転では120キロ、軽トラはそんなに出はしないし出さない方がいい。思い巡らせば、世の中には「タコメーター」しか付いていない四輪もあるぞ。まず田圃をノコノコ走るトラクター。それからサーキットを走るレーシングカー。

電気屋に行った。年80も半ばになり、目の衰えたおふくろが大きい画面でテレビを見たい、というので買いに行ったのだ。行ってみれば、エコポイント・アナログ終了がらみでものすごい混雑。店の者は「一時間、待ってもらいます」という。「安売りです」とチラシにあっても、買い手が殺到する状況では、商品の値段は高くなるのが、市場経済の第一法則だろうから、買わずに帰る。

久しぶりにLPレコードを聞く、デジタルを聴きなれた耳には、アナログの音は、けな気で切なく聞こえる。いずれにせよ、電気信号なのであるが。雑音混じりの中島みゆき「世情」を聞いていると、ある新聞記事を思い出した。それを記して日記を終えよう。

19731227日、朝日新聞
一人の男が、自ら命をたった。二週間ほど前のことだ。広告の世界、とりわけテレビCFの世界で「鬼才」といわれた人だった。杉山登志という。三十七歳だった。今月十三日の夕方、東京赤坂のマンションの自室で遺体となって見つかった。机の上に、原稿用紙が一枚さりげなく置いてあった。
リッチでないのに
リッチな世界などわかりません
ハッピーでないのに
ハッピーな世界などえがけません
「夢」がないのに
「夢」をうることなどは・・・とても
嘘をついてもばれるものです
日大芸術学部の学生時代から、この世界にはいり、日本天然色映画会社のデレクターとして、十三・四年もCFを作り続けてきた。発想のうえで、技法のうえで、いつもずば抜けていた、といわれる。「ほかのCFは杉山の亜流でしかない」と評価する人もあった。資生堂・女性用化粧品のテレビCFはほとんど彼の手になる。たとえば今秋のアイ・メイクのシリーズ。図書館で軽井沢で、中学生の男の子が、ふと中年の女性と目があい、淡い恋心をいだく・・・。ほかに「のんびり行こうよ、世の中は」の車。畑の新鮮な野菜が大写しになるマヨネーズ、など。製作本数は、平均して一年に六十本。仕事量がきわめて多いといわれるデレクターでも、年間せいぜい三十本どまりである。超繁忙であった。
酒をよく飲んだ。ウイスキーを好んだ。オンザロックを「破滅的」といわれるほど、ぐいぐいあおった。午前三時、四時まで、ほとんど食べず、ただ飲み続けた。ひと晩に一本あけた。
酔って帰る途中、自宅近くの三分間自動写真のボックスでよく、ひとり、写真をとった。「疲れた」とか「ハラが減った」とか彼がいうのを聞いた友人は、ほとんどいない。
彼のCFは「時代を二・三年先取りしている」と、よく評された。実生活でもその傾向があった。服装・長髪・ひげ・・・。ひげがはやりはじめると、彼はそり落とした。
妻や子はいない。最近繰り返し聴いていたレコードがある、という。「長くつらい旅だったでしょうね」という意味の言葉ではじまる、女性歌手ヘレン・レディーの「長いつらい登り道」である。』


ほんとうに、ヒトは成長したりするのだろうか、カップヌードルの残り汁、30数年前と同じように、内壁を底から上に箸の先で掻きあげている自分がいる。本当にヒトは変化したりするのだろうか。

4 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

いい記事。
これを保存していたとは、さすがですね。
おーさんより。

野良通信 さんのコメント...

この記事は、新聞の記事としては、失格でしょう。思い入れだけで出来ている。当時、異色のこれを、ノートに書き写したのは、何か感じるものが、若造の私に在ったんでしょうね。それが何かは思い出せない。
「時代を二・三年先取りしている」と言われたかれの射程は現在にとどいている、と思います。

匿名 さんのコメント...

私も、このニュースを覚えています。時代の最先端を走る(時代を作る)と言われる人だけど、ウソを売るようで、虚しかったのでしょうと思いました。受け取るほうも実体はなく空虚。オイルショックがあったものの、時代はまだ右肩上がりが信じられ、そのことがみんなを幸せにすると思われていました。失われた20年を経て、価値観観はどう変わったか? 政府も国民も経済の浮揚以外に生きる道はないようです。いいのかな?

野良通信 さんのコメント...

何年か前、彼の追想?番組があって、彼の映像を見たけど、新鮮で新しかった。
手抜きをしてないものは、古びない、それが、彼の寿命を縮めたのだろうけど。