2010年1月31日日曜日

ブログの孤独 つづく

公有地に神社が建っている。


少し前の話になるが。1月20日のことだ。最高裁は「憲法違反である」との判断を示した。報道された絵を見れば、鳥居がなければ、神社とも呼べぬ建物があるだけだ。検索してみれば一市民が提訴したという。偉い。

なぜ偉いのか。新聞によれば、同じような条件の神社は数千あるらしい。憲法の政教分離原則からみて「おかしい」と感じていたヒトは多数いただろう。しかし、身を挺してそれを提起した者はいなかった。だからこのヒトは偉い。

さて、この判決について、こんな事を言っていたら、身近にある「祠」「お地蔵さん」「宗教的道標」はどうなるんだ。「不当違憲判決だ」という声も多い。

ここにひとつの具体的事例を挙げて、検討してみたい。

正月2日、私の所属する町内会の総会に出た。昨年の会計報告を聞いていると、「お宮灯篭修理」に20万円支出とある。発言を求めて、「町内会に入っているヒトが全てお宮の氏子ではなかろう。公の金をお宮の施設に支出するのはおかしいのでは」と問うてみた。役員はどうもピンときてないみたいで、「灯篭の下で遊ぶ子供が怪我をしたらどうするのか、安全の為のお金だ」と言う。しかし、灯篭が危険なのならば、町内会がお宮側に「危ないから対策をしてくれ」と言うのがスジだろう。何の躊躇もなく、なけなしのみんなの金を使ったらしい。後日、出金を決めた役員会では、何の疑問も出なかったと聞いた。「だから、問題はない」と私に詰め寄るヒトさえいた。

結局、会計報告の「お宮灯篭修理」は「お宮への寄付」と名目を替えて何事も無く回覧されてこの件は済まされた。

つまり、このクニでは、公と宗教(少なくとも神道)との関係はこの状態なのである。「祠」や「お地蔵さん」の行く末を心配する前に、このズブズブの関係を論議して、整理する必要があろう。最高裁判決はそのことを促している。

話はすべるが、町内会への所属単位(一票の単位)は、私のところでは、「家」である。「個人」ではない。ここらあたりが「諸悪の根源」のように思えるのだが、これは、また別の話になろう。あなたのところの「町内会」はどうですか。

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