秋の気配
男子厨房の孤塁を守り、日々台所に立っている。今朝方、米を研いでいると妙に水がぬるく感じられた。「秋がきた」と思ったことだ。
水道といえど、水の温度保持力(正確にはどういうのだろう)は、私に季節の移り目を知らせる。
だからというわけではないが、春には、いつまでも冷たい水に、泡立て器で米を研いだりするのだ。
ところで、みなさんは毎日の献立をどういうふうにして決めているのか。
「献立を考えるのも作るのも好き」という貴重な例は別にして、「じゃまくさい早よう何か食わせろ」は無視して。次のふたつ。
・作るのは苦痛じゃないけど、メニューを考えるのは苦痛。
・メニューを考えるのは楽しい、でも作るのは面倒だ。
これが、大半ではなかろうか。
いろんな流儀があって、なんとかゴマカシ、誤魔化し、日々をやり過ごしているのが実情じゃないだろうかと推察する。ガンバロウ。
食ってなんぼの人生だから、せめて食い物にだけは「税金」を掛けないでもらいたい。これ、無理筋の理屈でしょうか。
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