2009年8月29日土曜日

言葉を集めて ふろく

ブログらしく、今のことも書こう、そう、またまたコトバについて、でスミマセン。けど、黙っていては腹が膨れる思いがスル。いや、血だってまだ頭から降りてきてないミタイダ。昨日、インターネット料金の振込み用紙を持って、コンビニに行ったと思いネエ。で、そこで「ダイジョウブデス」をやられたのだ。ココまで読んで、何のことかワカンナイやつはこれから先を読む必要ナシ。私は自他共に認める社会的弱者(金も名誉も地位もおまけに人望もない)であるから、軽い扱いには慣れている。いちいち浴びせられるコトバにカチンときて、ハエ叩きで蝿をたたくようにしていては腕がダル。どうしてこのコトバにかぎって、インターネット料金の敵(カタキ)をブログでトル、ミタクなことを思いついたのか、そのあたりのことを考えてみたい。
まづ、第一にこの言葉「ダイジョウブ」は他者との会話の中では、見下げコトバであるということだ。換言すれば、保護する者が、保護される者に使う言葉である。どうして、客が、対等の扱いを受けられないのか。
次に、「ダイジョウブ」でない場合、つまり、否定する場合どういうコトバがあるのか、「うけたまわります」「承知しました」であれば否定はむずかしくない。「~ですが」を付ければいいのだ。
まさか、「ダイジョウブデハアリマセン」というわけにはゆくまい、昔の兵隊であればそれでよかったにしても。いや、もうしばらく後にはこれを聞くことになるのだろうか。
それから。と書いてヤメタ。
いずれにしても、このイイカタは万人の間で切磋し琢磨されて選択されたものなのだ、と考えて、萎(な)えた。
しゃくにさわるから、いつ頃から、私は「ダイジョウブ」に違和をおぼえて来たのか調べてみると、ちょうど3年前の記録を見つけた。癪に触るしゃべり方についてこう書いている。
『しゃべり三態
1. 語尾上げ  ―➚
2. 問いかけ  ―じゃあないですか
3. 馬鹿にし  ――そうなんですか
番外、 店での対応、見下げしゃべり  ~をもらえませんかに「だいじょうぶです」
         06.7.12記』
こうしてみると、ユカイにも1.2.3.の項目は絶滅したみたいである。「だいじょうぶです」の絶滅も近いと思いたい。

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