2009年11月8日日曜日

言葉を集めて つづき

・ 「アダヤオロソカ」


メモには「かんたんには」と記している。それで充分であろう。「アダヤ」も「オロソカ」も方言ではなかろう。私の百姓の先生はこの言葉を連発していた。「あんたには簡単に見えるかも知れないが」という意味を込めて。

確かに、「都会で食い詰めたから。」「定年まで勤め上げたから。」「これからはこれが新しい。」様々な理由で田舎は、今、注目されているかも知れない。しかし、「時」はそんなに可逆的ではないのである。田舎は彼らが(彼らの先祖が)捨てた時とは変化しているのだ。まづ手頃なゴミ捨て場としてあなた達の故郷は利用されつつある。死語に近い言葉を使えば「総資本」との戦いを「戦いぬく」決意がなければ、あなたの頭の中の「故郷」は夢想に過ぎないだろう。
もしも、あなたが、田舎の生活を「満喫」しているとするならば。それは、あなたの、自覚していないところのあなたの裏切りによる他はないのだ。どうして、あなたは、欺瞞に満ちていると思うところの「都会」で「都会」の欺瞞の問題を解決しようとしなかったのであろうか。
裏切り者という罵声が私の肩にも遠くから聞こえている。

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