2009年11月3日火曜日

ブログの孤独

「海のルール」
稲刈りはてんやわんやの事どものウチに終わった。20年数年前には新品だったコンバインは、ガタピシしながらも止まることなく動いた。50数年前に新品だった、私の腰に故障があったくらいで。さてこれから、一碗の飯になるためには、いま少しの工程がいる。「炊きたての湯気立つ新米飯」のイメージが萎えがちの心を毎年奮い立たせるのだ。たった一碗のそれのためにヘトヘトに突っ込んで行く。合理主義者ども笑いたければ笑うがいい、私はそういうようにして生きている。
それはそうとして、ブログらしくニュースに絡もう、24日、八丈島沖で遭難した漁船から三名が生還した、詳しい者によれば「奇跡」に近いことらしい。新聞によれば、転覆した船に4日間閉じこめられて、脱出を試みることなく留まった、とのことだ。私は考えた、助けがなければ、いづれは死ぬことは目に見えている、船を捨てての万分の一の可能性に賭けなかったその論理は何かと。それは「必ず助けが来る」という確信ではなかったか。それは仲間がそうなったら自分は何をさしおいても助けに行くという、論理の裏返しだ。そこには、「他人の不幸は蜜の味」「自己責任論」が蔓延している陸地とはまったく異なる「海のルール」があったのではなかったか。

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