昨日、テレビを見るともなく見ていたら「普天間」沖縄米軍基地をニュースでやっていた。轟音とともに、校庭をすれすれに飛ぶところの軍用機の映像は只事ではないと見た。インタビューに答えて女の先生が、「墜落してきた時、どうしたらいいのか、それが一番の心配」と言っていたが、どうしようもないであろう。言葉にならぬ悲鳴をあげる時が残されているのみであろう。国会が開かれているそうだが、この轟音の下でやればいいのだ。
ところで、それを見ながら、私は一篇の「詩」を思い出していた。1974年頃の10月28日、朝日新聞「文芸時評」欄で「丸谷才一」氏によって教えられたその詩。私の変色して分解しかけているノートより抜粋する。
「洗練された言葉の芸、『天野忠詩集』」という書き出し。
「昭和29年の詩集『重たい手』のなかの、人々がひょっとすると単なる反戦詩と見るかもしれない数編の詩の場合にもいささかも変わらないようだ。一例として、散文詩『拍手』では長くなりすぎるから『何故』をひく。
『そのとき 遠い空に鈍いひびきがふるえ
みるまに轟然とふくれあがり
そいつは
学校の屋根いっぱいのつばさとなった
中学生の読むリーダーの声がふっ消され
首を縮かめて みな息をのんだ
グアーッと莫大なひびきで いつものように
教室は揺れた
やがて
とぎれた生徒の言葉を補うために
先生はしずかな声で‘Why’と云われた。』」
以上で抜粋はおしまい。手練にかかると散文詩「拍手」を探しだして読みたくなるではないか。
余計を付け加えれば、次のページに私は「シンシア」の歌詞を書き写している。「なつかしいひとやまちをたずねて」「かえってゆくばしょないのなら」どうやら優れた表現の射程は思いのほか長いみたいだ。
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