2009年12月19日土曜日

ブログの孤独 つづく

「国民の声」


言葉の端々に茶々を入れ、混ぜっ返す輩はしばしば誠実に欠ける。それは、解かっているつもりだ。だが、しかしである、このクニの現首相が「天の声」ならず、「国民の声」を聞いたと言うのであるから、興味津々なのである。新聞を続けて読めば、なんのことはない、例の小沢氏が、「国民の声」を代弁したということだ。その声を「聞いた」というのである。

ところで、小沢氏が代弁するところの『声』は、悪名高い「陳情一元化」の帰結であるらしい。

1.仮に、人格Aが人格Bに何事かを伝えようとする時、人格Cが現れて「私が代弁する」と言い出したとしたら。「其れは良き事也。」と手放しで認める者はまれに見るお人好しである。人格Cにせよ、代弁者Dが現れれば拒否するだろう。こんなマンガが罷り通っているのだ。

2.視点を変えれば、「国民の声」は多面的なのである。時に、矛盾をもそこに含んでいる。それが、常態なのである。「国民の声」という言葉でひとくくりにする感性は、凡そ政治家に向かないだろう。「劇場型政治」の悪しき流れは少しも衰えていないのではないか。


今年、09年夏、総選挙のあと、無責任な巷スズメどもが「政権交代?・政権交換じゃないの」と囀っていたが、どうやらそれがホントになろうとしている。交換ならば、「返却する」事も想定されるものの、「どこに」なのだろう、時は不可逆なのである。

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