2009年12月25日金曜日

ブログの孤独 つづく

ロマンチックのゆくへ

こちらは、うんざりするほどロマンチックなのだ。すでに遠い昔に市場経済の軛(クビキ)より逃れてクラゲの如くに浮遊している無能物に過ぎない。しかし、だからといって多少の矜持も持ち合わせていたい。

珍しく、「忘年会」に誘われた。当日、バスで出ようとすると、バスが無いのである。子が学校に通っていた頃、乗り遅れたくせに家に帰って、「バスが無い」と言っていた事を思い出した。「バス紛失事件か」とからかいつつも送ってやった事もあったな。その頃に較べてずいぶん便の減っているのを改めて発見した。感心ばかりもしていられない、どうするか、思案の後、自転車で行くことにした。目的地まで17キロはある、私如きでも、工業高校に行っていた時には18キロを毎日往復していた。やってやれないことはなかろう、天気もいい。ママチャリのタイヤに空気も入れた。

さて、道をチンタラ漕いでゆけば、前から来る顔見知りの目が車の中で点になっている。ざまあみろ、人生至る所に驚きありだ、常識なんか捨ててしまえ。しかし、この三十年、面の皮は厚くなったが、尻の皮は薄くなったみたいである。半分もゆかないうちに尻が痛い。息も荒い、頭痛もしてきた。ベンチを見つけ一休みした。気絶したヒキガエルみたいにノビていたら、近くで二十歳ぐらいの若者二人が親しく話をしているペチャクチャと。聞くともなしに聞いていると、意味が掴めない、集中して聞いても意味が取れない、心臓発作かしら、とも思った。野垂れ死にかと覚悟した。だが、変調していたのは認識系の方だった、日本語であるとの認識を捨てた途端に中国語が私の耳に入ってきた。
それにしても若者の会話のリズムは万国共通なのだと感心した、映像で見る若いムスメの少しく眩し気なハニカミが如何なる民族でも共通である様に。そして、この列島には日本語以外の世界が思いの他多様にあるのだと思い至った。

目的地に着いてみれば、始まりには少し時間がある。実に久しぶりに昔住んでいたあたりをさまよってみた。此辺の私の中のイメージは、三十年の間に少し膨らみ、実際の街は少し縮んだ様だ。「あゝおまへは何をしてきたのだ~と、吹き来る風が私に云う」(中原中也「帰郷」最後の部分)を思い浮かべたりした。

「忘年会」の事は、書かぬが良かろう。ご迷惑をかけました。年をとれば次第に円熟してくるヒトもいれば、年齢と共に緩んで堪え性の無くなるヒトもいるのだ。わたしはどうやら。  (以下略)      

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