2009年12月27日日曜日

何を食らうか つづく

「茶粥」


前回「さて次は、茶粥を炊いてみよう」と書いた。これは、約束だ。しかし、律儀に約束を守ろうとすれば「鬱」になってしまうのは分かっている。マニュフェストだって反故なる世だ。止めておけの声がしている。危険を冒して続けてみよう。

茶粥は「コーツト」の祖父さんの常食だった。今から思えば、飯と茶粥のふたつを、ひと昔前の我が家は同時に炊いていたのだった。

じいさんの子、我がオヤジは20年ほど前死んだが、ワガママな男だったと思う。一椀で飯と茶粥を食いたいと「ご飯に粥」とおふくろに差し出す、で、渡されたのが、茶粥の上に飯が載っていたりすれば、烈火のごとくに怒っていた。「ご飯に粥と言ったはずだこれは粥にご飯だ」と。子の私はコダワリは受け継いでいるが、ここまでではなかろう。どうだろうか。

さて、なんの詮索もなく、茶粥を食う地域を思い浮かべれば、瀬戸内地域と考える、東の端は奈良であろう。「ほんにのうや」の郷には茶粥は無いようだ。検索すれば、茶粥の風習を部落問題と結びつける向きがあるがこれは見当違いと考えた。細長い瀬戸内地域を東から西に伝わったものか、西から東になのか、解からない。

いずれにせよ、茶粥はうまいのだ、散々飲み疲れて、ズタ袋のようになった体に、冷えた茶粥を流しこめば、飲みつつある時にはあんなに宥せなかった事々が、氷解してゆくようである。

前置きが長くなっている。そろそろ、炊きにかかろう。材料は、米と、茶葉、と水。まず、水5カップに茶葉を入れて炊く、茶葉は「焙じ」、でも「緑」でも「混ぜて」もいい、少し濃い目に出したい。葉は取り除く、どんな方法でもいい、違う鍋を用意して茶漉しに茶殻を受ければ良い。さて、沸騰したお茶にカップ1の米を入れる(洗おうと洗うまいとお好きなままに)ここから、強火の火を落とす事なく、混ぜに混ぜて欲しい、次第に米がふっくらとしてくるはずだ、10分も過ぎれば、混ぜているヘラに米粒を拾って食ス、まだ少し芯があるか、あとは、好みの硬さまで煮る、(火を止めた後も余熱で柔らかくなる事を計算にいれて下さい)目処は15分まで。

熱々に、冷たい塩辛、漬物、塩昆布。私の中の隠されていたナショナリズムが呼び覚まされるようだ。冷たくして掻き込むのもいい。

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