2009年12月29日火曜日

言葉を集めて つづく

・ 「ヒデリグサ」


稲のことである。メモには「稲のこと、日が照ればよく育つ」とある。方言辞典にも「ほんにのうや」にも記載は無い。いささか自嘲気味のこの呼称はどうして生まれたか、考えてみたい。言葉は移ろいやすく、やがて空に消えて行くものだけれども、理由無く生まれたりはしないものであろうから。

こう書きながら、ムカムカして来たのは、二日酔いのせいばかりではない、さっき聞いたニュースで「ミッション」の連発を聞いたからだ。これは、宇宙ステーションに関してだったのだが。どうして「計画」とか「任務」とか「目標」とか「企図」と言わないのだろうか。そういえば、マスコミが「ミッション」を連発するようになったのは、たしか、親ブッシュが湾岸戦争(1991年)を始めた時だった。今から考えれば、「ゲーム感覚の戦争」と「ミッション」はセットになっていたのだ。以後事あるごとに、アメリカに関して、知ったかぶりをする連中はこの言葉を使う。いったい、このクニはいつまで青い目コンプレックスを持ち続けるつもりなのだろうか。

話が、それている、「瑞穂の国」の「瑞穂」の話に戻そう。つれあいのおとうさんは生まれてこの方、おそらく一年も稲作りから離れた事はなかろうが、彼は言う「日照りの年で、水が無く、稲が枯れる場所があっても、全体としてはその方が収量は多い。」と。南の国生まれのこの植物は、昨今の異常高温は別にしても、圧倒的な日照を好むのだろう。だから、曇天降雨の多い、つまり水の多い年は不作になるのだ。「ヒデリグサ」は「日照りを好む草」の意だ。

ちょっと、話をすべらせてもいいか、この島国で念願の米の自給がやっと出来たのはいつだと思われますか。統計は1960年(S35)と伝える。今から半世紀前の事であることに驚かれるだろう。しからば、それまでは、どうしていたのか、食う方(人口)を調節していたのだ。コケシ、ウバステ、の話はおとぎ話ではない。私の作る田に水を供給する溜池は古老の話では1930年代に完成したという、我々は、食うが為に(養うがために)あらゆる知恵と努力を重ねてきた。「ヒデリ」の年に水を得るために、そして、より多くの田を得るために。歴史上、米が余って困った事など一度も無いのだ。今の「米余りの話」も眉に唾をつけてみた方がいい。

以後は、私の仮説だが、このクニの不幸は、1900年頃に始まった帝国主義の時代に、その上に、歴々と続けてきた、食うためのエネルギーが不幸にも合体し、その侵略性(攻撃性)を増長させて、1945年に至る無謀な行為を行わしめたのではなかったか。

食える事の喜びと、食うための行為のせつなさは、おそらくヒト人類からしばらくは離れる事はあるまい。あなたは、今日の食卓の為にどれだけの命を始末しましたか。

私が、飽食正月のアレコレを好きになれぬのは、以上の理由にある。

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