2009年12月8日火曜日

ブログの孤独 つづく

「脱官僚依存政治」

呼ばれもしないのに、騒ぎがあれば顔をのぞけて一言口を挟む人物を「イッチョカミ」と云うらしいが、どうも私もそうらしい。民主党の新しいルール「陳情一元化」をめぐって、「イッチョカミ」してみよう。
最初から、調子が低くてゴメンナサイだけれど、残念な事に私は国に「陳情」した経験が無い。まして官僚ではないから、「陳情」を受けた経験も無い。したがって、これまでの自民党的陳情システムの弊害がまずピンと来ない、現場を知らないのだ。
一方、「脱官僚依存政治」を目指すという民主党が、そのためには「陳情一元化」がどうしても必要であるとする論理も今ひとつピンと来ない。「官僚依存」しないで政治をやりたいのはいいとしても、「窓口はひとつだけ」、というのは揚げ足を取るようで恐縮だが、あまりに「官僚的(お役所的)」発想と思われる。

さて、私の「窓口はひとつ」の経験を述べてみよう、相手は「市」だ。苦情、要望、お願い、言葉はあれこれでも「陳情」だろう。「市」に直接連絡すると、時としてしばしば、「町内会を通して」。と言われる。町内会を通してもいいが、いまひとつ市に届くものかどうか解からない不安がある。おまけに、直接「市」と交渉したりすれば、越権であると町内会の機嫌が悪い。「窓口はひとつ」は私にとって何もいい事は無かった。これが、私のささやかな「陳情一元化」の経験である。(単なる任意団体の町内会を、行政の末端機構のように扱うのは、「役所の手抜き論」を超えた問題がある、これについては、またの機会に)

これ以上書くことは無い。ただ一言付け加えれば、今、議論を呼んでいる、「事業仕分け」「陳情一元化」が彼らの弱さの表現で無い事を祈るのみだ。パホーマンスの成功体験を持つ者はまた、偽りのパホーマンスに躓くものだ、二度目は喜劇として。帝国で80年、ついで世界最強国の属国となって65年、人口1億2000万を擁し、世界でも指折りの工業国である国家をコントロールする難しさは想像を超えるものがあるとしても。

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