2009年12月22日火曜日

何を食らうか つづく

シチュー


「ほんにのうや」の郷から貰って帰ったのは、白菜だけではない、食パンを義姉に貰った。目醒めた寝床で、シチューを思い至った。食うためには、寝床から出なければならぬのは千年の昔からの習いだ。エイヤッと掛け声をかけて起き出した。

少しく深い鍋に肉(今回は豚もも肉)を入れ、炒めた。その間にタマネギ、ニンジンを切り放り込む。肉が鍋に付く様なら、火を止めて10秒もすれば剥がれるだろう。ジャガイモも入れよう、少し小ぶりに切って、レンジにかけた、シチューの中のいもはゴロゴロしてない方がいい、それにトロミにもなる。さて、タマネギがしんなりしてきた、バターを入れ、小麦粉を入れる、それから木箆(へら)でまぜる。小麦粉に火が通るまで。火は弱めがよかろう、底に付こうとする輩を剥がしながら、数分でやり終えて、火の粗方通ったジャガイモを入れて、牛乳を入れる。ドバットでもチョットづつでも。トロミが付いてくればシチューだ。トロミが強いようなら、水を足せばいい、私は余っていたイリコと昆布のダシを入れた。塩気は塩コショウでも固形ブイヨンでもチキンのそれでもいい。まだ試した事は無いが、醤油もいいかもしれない、キムチ鍋の素はどうだろうか。

食パンを炙り、少し深めの皿にシチューを入れ、食らおうとすれば、我が祖先モンゴリアンより遠く離れて旅して来った気分だ。

それにしても、我々は何時まで、故郷の親兄弟からロハ(タダ)で食料を手にするつもりなのだろうか。それを許す構造は、破綻しているというのに。故郷の父母は老いて、無償の愛、愛の無償性を表現することは早晩不可能になるだろう。あなたは故郷からの援助から離れて何年になりますか。

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